今ぼくにできること。

 8年前の今日は東日本大震災が起きて日本はおろか世界中を震撼させました。僕はその時、お客様と博多座にて『俊寛』を観劇の途中。中村橋之助(現在は芝翫)演じる俊寛が、遠ざかる船に向かって悲痛な叫びを続けながら幕を降ろした熱演に感動していたところへ、「こんな時になんばしよるとね!」と電話やメールが引っ切りなしに。一体全体、何が起きているのかさっぱりわかりませんでした。家路にたどり着くまでは。
 そうして翌年5月、所属する消防団の有志で被災地の宮城県石巻市へ視察に行きました。建物が波にさらわれて見渡す限り続く平野、まだ残る異臭、台地のように積み上げられた想像を絶する瓦礫の山に悲壮な想いを抱いたのを昨日のことのように覚えています。たくさんの尊い命とともに大切な想い出の詰まった品々は流され、その中にはもちろんきものたちも。被災地では新しいきものを着て成人式を迎えるどころか、レンタルはおろかお母さんやおばあちゃんのきものを着て成人式を迎えることも、成人式を祝うことも叶わない現状でした。
 なーんて本日、ご両親の愛情たっぷりに育った可愛子ちゃんが、お母様とふたたび。「この振袖が着たい!」と選んだのはお母様が20数年前に袖を通した一枚。「そう言ってくれた時には涙が出そうになったよ」とはお母様。ということで先月末にお母様の振袖一式とともにご来店、可愛子ちゃんに着せた姿を頭に焼き付けた上で、今月初めの京都出張へ。この子のために仕入れてきた品々を揃えて本日の決戦に挑みましたが、最初に合わせた帯と小物を鏡越しに見た途端の弾ける笑顔と輝く眼差し。(これに決まったな!)と思いましたが、ほかの色遊びを経て。最後の最後に草履の台と迷いに迷った鼻緒を選んで勝負は決しました。いつにも増して大きな声が隠せない喜びの印。小さな頃から知っている可愛子ちゃんと愛を注ぎ続けるお母様の横顔に感無量。の池田屋一同。
 近頃はおばあちゃんやお母さんの振袖を着ることを「ババ振り」とか「ママ振り」とかいう言葉で表現されることが少なくありませんが、大切なご家族の想ひ出や節目に当たって、そんな簡単で綺麗とは思えない言葉で片付けてしまうことは到底理解できません。先日ブログで紹介した『涙のラストレッスン。』のお客様も然り、これからもご家族の大切な想いに寄り添って喜びを分かち合えるお店であるべく精進して参ります。
 当日までのお楽しみ!ってことで写真はモノクロにて御免下さい。

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