喪に服す。

 今日は幼稚園の年少組でお世話になった先生の前夜式(お通夜)でした。
 僕が出逢ったはじめての先生で、それはそれは優しい優しい方でした。幼いながらも先生から怒られたという記憶が全くなく、僕がお友達と喧嘩をしたときも、おしっこやうんこを漏らしたときも、いつもにこやかにされていました。小学校や中学校、高校になっても街で逢うと「あら、さとしちゃん」といつもの笑顔で声をかけてくださいましたが、いつの日からか大人と認められたのか「さとしさん」と呼ばれるようになり、嬉しくもあり寂しくもあり。数ヶ月前にお会いした時にずいぶんお年を召されたなぁとは思いましたが、まだまだお元気そうだったのに。突然の訃報が、梅雨空を一層どんよりと感じさせました。
 先生は敬虔なクリスチャンでした。僕は世界のあちこちで勃発する戦争の原因となっているキリスト教をあまり良く思っていませんが、先生の優しさが主の教えによるものだということは疑う余地がありません。そんな今夜の前夜式は、「さみしくなんかありませんのよ」と安らかに眠っていらっしゃる先生の優しさが会場に溢れ、心穏やかなひとときでした。
 讃美歌とともに先生に手向けた真っ白なカーネーションに感謝の気持ちを込めて。すべからく、紗の無地に黒紋付羽織を重ねて。

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