祝辞@結婚披露宴

 本日は、江戸で150年も続く誂え足袋の老舗「向島めうがや」六代目の結婚式と披露宴でした。
 振り返ってみますと、めうがやさんとの出逢いは約10年ほど前のこと。お客様から「右と左と足の形が違うのに、既製品だと両方同じ形な上に、サイズを合わせれば足首が余り、足首に合わせるとサイズが合わない」と相談を受けていたちょうどその頃に、とある雑誌の記事に向島めうがやさんを見つけ、さっそく電話を差し上げました。九州の片田舎からの突然の相談に戸惑われたご様子でしたが、あまりにも丁寧なご対応に「ここで間違いない!」と直感的に感じたのを覚えています。ほどなくして上京し、五代目当主に思いの丈をぶつけました。すると、
 五代目:「ひとつだけお願いがあります。弊社で足袋を誂えて頂いたからにはずっとお世話をしたいと思っています。一度きりではなく、末長いお付き合いをお願いします」
 と願ったり叶ったりのご要望を頂戴しました。以来、年に一度または二度ほど六代目に遥々お越し頂いては、新規のお誂えや追加のご注文、型紙の微調整などを細やかに真面目一徹に対応してくださっています。そんな六代目からのご招待を受けて立たないわけには参りませんが、さらには友人代表の挨拶までご指名を頂きました。「えっ!僕なんかが…」と最初は驚きましたが、ここで断ったら九州男児が舐められる!と快諾。
 が、、、会場のホテルニューオータニに到着すると、そこは想像をはるかに超えたアウェーでした(汗)。まずはホテルに圧倒されてしまったのですが、席には「かんざし職人」「押絵羽子板職人」「鮨屋の大将」など、いかにも下町の江戸っ子ばかり。しかも新婦の鬘を結われたのは、かの山口百恵さんや榊原郁恵さんの文金高島田を結われた御歳八十云歳の髪結師。しかもしかも音大のご出身の新婦らしく、ピアノとチェロの演奏でお客様をお出迎え、主賓はオールオペラ歌手。ただ、せめてもの救いだったのが僕の出番が主賓ではなく、新郎新婦がお色直しの後、つまりメインディッシュを楽しまれる頃でお客様同士の会話が弾んでざわついてるであろう頃だということ。かと思いきや!マイクの前に立つと、会場の目と耳が僕の方へ(汗)。さらにキンチョーは高まり、高血圧で気分が悪くなるのってこんな感じかなーと、ガクガクの膝を隠すはずのまでもが揺れていました。
 まずは弊社のこと、続いて向島めうがやさんとの御縁を簡単に紹介したのち、先述のオールオペラ歌手を前に「最後にウタをお贈りして僕の挨拶といたします」と申し上げると、「おぉぉぉ、(やれるもんならやってみろ)」とどよめいたので、「詩ですよ、詩。ポエムです」と言って少し笑いを取ったつもり。
 なんて僕を救ってくれたのは、今朝4時半に唐津を出る3時間ほど前の午前1時すぎに突然お願いしたにも関わらず、僕が詩を朗読する2分間のためだけにやって来てくれた取って置きの飛び道具、アコーディオンのDANくん。彼が奏でるムーンライトセレナーデ♪が僕の下手クソな朗読をごまかして会場の涙を誘ってくれました。もちろん、僕はDANくんの演奏を楽しむ余裕なんかなく、あとから「何を弾いてくれたんだっけ?」とたずねる始末。披露宴終了後もしばらくは心臓がドキドキしていて、子供の頃に泣いた後みたいに頭がガンガンしていました。ふぅ、
 終了後、を脱いで羽織を替えて本日2つ目の大役を果たすべく、電車で小一時間のお客様宅へ。めでたく大学を卒業して幼稚園の先生になるお嬢様に、葡萄唐草文の白生地を元気印の淡い黄色に染めて色無地紋付を誂えて頂くことになりました。
 今日一日、めでたし、めでたし。

追伸
本日のコーデは、江戸小紋「御召十」×色紋付羽織に縞。足元はもちろん、向島めうがやさんの誂え足袋

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