丹前か、袢纏か。

 今年はじめに東京は浅草から舞い込んだ一通のメール
 想いとともに、当初予定していたよりも一枚多く巻棉を込めて、大島紬の軽くてさらりとした肌触りも相まって、ほっこりふわっふわに仕立て上がりました。プレゼントされるお客様のお兄様のお体格が「170cmで中肉中背」ということで、まさに僕の体格。ひと足ならぬひと腕先に通して着心地を確かめましたが、これならきっとご満足頂けるはず!と満を持して連絡を差し上げたのち、さっそく佐川急便の手に託しました。
 それから2日経った本日、ご丁寧にお客様から到着のお知らせメールが。「ふかふかの仕上がりで、とても着心地が良さそうです」に「ふむふむ、そうだろそうだろ」と文字を追った先にはなななんと、「実は、予期していたものとは少し違っておりました」と記してあり、、、そう、僕は想いを込めに込めて巻棉まで多めに込めた上に、とてつもなく大きな思い違いまで込めてしまい、誂えたのは丹前ならぬ袢纏だったのです!
 メールには続けて「しかし、自分で羽織ってみると、腰まで隠れて暖かく、兄も重宝してくれると思います」とお釈迦様のような文脈。さらに続けて「予期せぬ事はあるものですが、袖の形はとても気に入りました。手を洗う時など、あの形なら便利だと思います。母が仕立てていた頃は、着物の形をそのままにしたようなデザインでした。私は幼い頃から、それが「丹前」なのだと思い込んでいました」と、いやおっしゃる通りなのです。僕の間違いなのです。
 さっそく電話を差し上げてお詫びを申し上げましたが、メール同様に「これはこれで気に入ってますから、ひとまずこれを兄に着せます」と怒られるどころか御礼までおっしゃる気っ風の良さはいわゆるひとつの江戸っ子人情なのでしょうか。本来はあたたかくしてあげる役回りだったのに、僕が包み込まれてどうするんだってんだ。
 立場は丹前に袢纏。もとい、完全に反対。お兄様のご感想やいかに。

洗い張りした大島紬、巻棉3巻、別珍衿。

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